第二章

くんちゃんニュージーランドへ行く



――くんちゃんの人生の転機は何だったと思いますか?


はい。29歳の時に、妹に誘われて、一緒にニュージーランドにワーキングホリデーに一年間行ったことが、一番の転機ですかね。


――なるほど、何があったんですか?


海外経験があまりなかったし、長く外国にいるのは初めてで、初日からもうびっくりすることだらけでした。着いた時、日本人のイメージはちゃんとしたホテルに予約していて、行ったらチェックインして、すぐに泊まれるっていうイメージだと思うんですけど、全然違って、旅をしている若者が泊まるところで、全世界の人が集まってるような安宿のようなところに泊まったんです。


――なるほど。


色々な国の人がいて、すれ違うと挨拶をされるんですけど、挨拶の返しが出来なくて、もう無言になるしかないような状態になってしまったんです。妹は慣れてるのですごく気さくに挨拶もできるし、会話もスムーズにしてたんですけど、自分は日本語しかできなかったので、口を閉ざしてしまって、「どうしよう」っていう感じでした。


――なるほど。


本当に初めの1週間ぐらいは帰りたくてしょうがなかったですね。妹はどんどん交流を広げて、仲いい人が増えていく中、自分はホームシックのようになってしまって。


――あー、そうなんですね。じゃそこから。


うん。やっぱりこのままじゃだめだっていうのは思っていましたね。やっぱり喋らないと会話が成立しないし、挨拶をされても返せないとそこから何も始まらなくて、ずっと友達にもなれないような状況だったんです。そんな状況の時に、同じ宿に泊まっていた外国の若い男の人に「喋らないね」って言われたんです。多分、見かねて言ってくれたと思うんですけど、そこからせめて挨拶されたら、それに対して返すっていうのをもう条件反射で出来るようにしていく、そこからのスタート。


――ハローから?


うん。ハローって言われても、返せなかったぐらい英語ができなかったんです。


――大変でしたね。


そうですね。しかもびっくりなのが、持ってきたお金が2人あわせて25万円で、すぐにお金がそこをついてしまう状況になって、周りの人がすごく貧乏くさい姉妹がいるっていうことで、ご飯を作ってくれたんです。


――えー、優しい。


そうやって、なんとか過ごしてたんですけど、さすがにまずいっていう状況になって、妹が働き始めたんです。自分は英語が全くできないので、安いところでやってる英会話の学校に通うことにして、そこで色々な国のお友達ができたんです。そこでお友達になった台湾の人から、自分の子供に日本語を教えて欲しいって言われて、そこで働けることになったんです。外国から来てる人は、家柄の良い人が多くて、すごくいっぱい給料もらえて、なんとか自力で生活できるようになったんです。


――なるほど。


最初は安宿にだいたい1ヶ月ぐらい住んでいて、その後は、ビーチの目の前のキャンピングカーに2人で引っ越したんです。キャンピングカーって昔から興味があって、そういうところに住めるなんて夢のようでしたね。そこから学校に通う生活を1ヶ月ぐらい続けていました。


――そうなんですね。


学校の友達が、家族で台湾に帰国するので、その間お留守番をしてくれる人を探していたんですけど、私たち姉妹が条件にぴったりだったみたいで、その家のお留守番をすることになったんです。


――なるほど。


その家がとても立派で、私たちが住むために家具とかを全部新しく用意してくれて、車も使わせてもらったんです。その車を使って、日本から来た姉と3人でいろいろ遊びに行ったり、パーティーしたりしましたね。


――楽しそう。海外って感じですね。


そうですね。その後、両親をニュージーランドに呼ぼうっていう話になって、妹がチケットを買って送ってあげたんです。それで両親も来て、車でいろんなところに連れて行きました。ロトルアとかワイトモとか結構有名なところがあって、そこの結構いいホテルに泊まって旅を楽しみましたね。


――親孝行ですね。


うん、親孝行したね。だから、それが忘れられないって両親はずっと言ってた。


――あ、そうなんですね。


うん、2人とも言ってた。やっぱり日本にいると仕事とかしてて、心に余裕がない状態だけど、こっちに来たら、楽しいことしかなかったからずっと忘れられないって、その後何十年も言ってました。


――いいですね。この家には最後までずっと住んでたんですか。


はい。最後までずっと住んでましたね。ご近所付き合いとかもあって、料理を振る舞ってくれたり、お話したり、そういう楽しい交流がいっぱいあって、世界にはこんな美味しい料理があるんだなとか、こんな人たちが住んでるんだなとか、いっぱい勉強になりましたね。


――なるほど。


ニュージーランドに住んでると、自分が思っていることを言わないと生きていけなくて。日本だとなんかそんなに言わなくても、生活できたんですよ。言葉も分かってるし、周りが助けてくれるから。だけど、向こうに行ったら、自分で切り開かないと生きていけない。親がいるわけでもないし、ずっと妹がついてくれてるわけでもないから、そこで随分強くなりました。最初のころは銀行口座を開くのも一人じゃできなかったけど、最後、閉める時は、全部自分でできるようになって、1年後に自分でもびっくりみたいな、ほんと何もできなかったので。